今日は定期管理の現場です。
元々は、年に一回の管理でしたが、ダンナさんが亡くなり、日ごろの庭仕事が出来なくなり、お庭全体の管理を任されたので、回数を増やして、落ち葉や雑草取りや、雨どいのゴミ拾いなど、全般の管理をさせて頂いております。
当初は、寂しさもあって、イイダのには、気丈にふるまっていましたが、喪失感があり、心配でした。
管理に行った時に、ローズマリーの刈込をするのに、車を少し移動して貰おうとしたら、エンジンが掛からずに、バッテリーが上がっていて、全然使ってないと言っていたのを、思い出します。
今では、コロナでリモート勤務になった娘さんが、ほぼ毎日こちらの家で、リモートをしているので、お孫さんもいて、見るからに肌つやが良くなって、幸せそうにしています。
ダンナさんは、ドイツの人で、チェロ奏者でした、管理に行くと、よくピアノの音が聞こえて、演奏がお庭に響いていました。
お亡くなりになってからは、演奏が聞こえてこないので、心配してましたが、今では、お孫さんに教えているのか、よく聞こえてくるようになりました。
何か、イイダもうれしく、その演奏を聞きながら、ニンマリしながら、庭仕事をしました。
イイダは、娘さんと住めばいいのに、と何度も話したのですが、奥様は気丈に首を縦には、振ってはくれません。
何かきっかけがあって、このような光景を見れたのも、こんな現代の情勢ですが、悪い事ばかりでは、無いと心から思え、このお庭もまた、嬉しそうに見えます。
人には、歴史があり、ストーリーがあります。
そこに咲く一凛の花でさえ、重ねて見る、その人の歴史や、ストーリーがあるので、同じ花は世界に一つもないのです。
もちろん、生物学的にも、同じ花は存在しないのですが、お庭をパターンやスタイルで、仕分けする事は、とても野暮ったい事です。
だって、歴史があって、ストーリーがあるから、花壇のレンガの掛けた部分さえ、その人から見れば、大事な想い出かもしれません。
イイダは、その想い出をアルバムにしまう事もするし、新しいページを重ねる事もする、スタイルにこだわらない、造園家でありたいと思います。
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