今日は、15㎝の重量ブロックを積みました。
門袖の仕上がりは、18㎝になる予定なので、下地のブロックになるのですが、安心して気を抜いていると、ブロックの角がどんどんズレて、いびつになり、ブロックや、レンガなどで、高く積みこむときは、気が抜けないのです。
モノ作りの極意は、簡単なものほど、奥が深く、また、難しいとされているものほど、単純に分析していく事が、達成への道なのです。
真っ直ぐに、垂直に、積み込むことは、厳密には、人の手では不可能な事なのと、曲線を計算して、再現性を出すことは、その人の感覚に宿り、感覚を磨くのは、経験と、今まで生きてきた、人間性がヒントになり生まれるモノです。
大体の人は、不可能の方が、簡単と考えるのです。
例えば、真っ直ぐになるように、レンガなどを積みますが、直線を出すことは、人の手で施工した場合には、正確には、無理なので、見た目で判断するのと、固定されたモノから、距離で測るのですが、真っ直ぐを判断するモノ事態が、本当は無いので、正確には、無理ゲーなのです。(笑)
何を言っているのか、と思ってしまうかもしれませんが、出来ないことを、僕たち人間は、必死になって、何とかそう見えるようにする事に、囚われているのだと、ブロックを積みながら、考えてしまいました。
では、なぜ、不可能の方が簡単だと、勘違いするのか、それは、固定させた真っ直ぐだとされているモノに、依存するからだと、思います。
誰かが、ワイシャツは白と決めたから、白いワイシャツで、会社に行けば良いと、考える事を、やめてしまうからだと、思うのです。
最近の、住宅地は、同じ仕様の、建売がほとんどで、ここの門袖も、また同じようなモノが立っています。
今の時代で、個性を出して生きていく事は、難しいですが、本来は、人それぞれ違っていることの方が、当たり前なのですが、皆、同じを依存して、生きているのです。
考える事を、奪われた人類は、複雑になった現代では、不可能の方を選びがちです。
だから、せめてお庭だけは、個性を出して、心を正常の方に向けて、しっかりと大地に、根を張るように、立ってもらいたいと思いました。
こんなことを、言っている、イイダもまた何かに依存して、生きてきたのかもしれません。